加東市議会 2020-03-17 03月17日-02号
たまたまその前の年の11月に私、名取市へ出張に行ったことありまして、そのときのイメージはもう本当に海からさあっと、何もないまちなんですよ、あそこ。いいところだなと思ってましたが、逆にあれ見たときに、あ、これ名取市大変だなと思いました。
たまたまその前の年の11月に私、名取市へ出張に行ったことありまして、そのときのイメージはもう本当に海からさあっと、何もないまちなんですよ、あそこ。いいところだなと思ってましたが、逆にあれ見たときに、あ、これ名取市大変だなと思いました。
先日、城西地区連合自治会主催の防災訓練で宮城県名取市の閖上中学校遺族会会長丹野裕子さんをお招きし、東日本大震災での経験を語っていただきました。 丹野さんは御両親と息子さんを津波で失っており、当時のことをリアルな言葉で語ってくださいました。「どんなに準備をしても、いざというときには半分も考えていることができない。でも、準備をしなければ、その半分すら到底行動できない。」。
これは職員がいわゆる出張とかした場合の支給条例なんだけども、逆にこの間の東日本大震災のように、伊丹の職員が名取市のほうとかに災害応援に行ったという場合、恐らく名取のほうでもこういった条例が制定されてるとしたら、今回の支給というのは、伊丹市が持ってる職員等の旅費に関する条例等の関係でいえば、これとは別個にさらに支給されていくのかどうか、そこら辺のちょっと確認をしたいんだけど。
この議場でもかつて申し上げましたが、私は、当時、宮城県の名取市というところに住んでおりました。名取川の氾濫や仙台空港の浸水がニュースになっていましたが、私の家はこの2点のちょうどそれぞれ1キロ未満のあたりにあり、運よく津波は家の数百メートル手前のところでとまっていました。私は、当時勤めていた会社の出張で偶然埼玉県にいましたので、仙台での直接的な被害は運よく逃れました。
公共図書館内に、学校図書館支援センターの機能を業務として位置づけている名取市の例。スマートデバイスによる情報探索システムを取り入れている埼玉県飯能市の例。これはハード面ですが、東京都北区では赤レンガ倉庫を活用した滞在型図書館。
この議場では何度か言ってますが、私は、当時、宮城県の名取市というところに住んでおりました。名取川の氾濫や仙台空港の浸水がニュースになっていましたが、私の家は、この二つのスポットから1キロ未満の真ん中あたりにあり、運よく津波は家の数百メートル手前でとまってました。私自身も運がよく、その日は、出張が1日延びて埼玉県におりましたので、直接の被災はしておりません。
また、東日本大震災から5年を迎えることから、被災地支援から学ぶ減災・防災として被災地支援プロジェクト、「いたみパドフェスタ~5年のつながりから学ぶこれからの伊丹~」を開催し、宮城県岩沼市、名取市からの学生と、伊丹市からは被災地で活動経験のある高校生が発表を行うとともに、被災地支援の歩みや各団体等の活動紹介などを行いました。
しかし,幼児連れと母親は福島のもとのふるさとに帰らないで,宮城県の名取市とか仙台市とか,被曝量の少ないところに第2次避難をしています。まだふるさとに戻れないという判断からです。 私は,まちづくり・住まいづくりのプランナーをしています。住まいは人権であるという思いでずっと仕事をしてきました。好きな神戸で安心して避難生活を送れるという人権の保障を神戸から発信してほしいと思います。
当時、僕は23歳で、宮城県の名取市に住んでおりました。テレビでも再三氾濫の様子が放映されていた名取川から1キロ、浸水していた仙台空港から2キロの位置に住んでおりました。震災時は、出張で偶然埼玉県におりましたが、帰ってきてからが悲惨でした。地震でぐちゃぐちゃになった自分の家を片づけてからは、友人の家の手伝いをし、行方不明になってしまった友人の知人を探すために遺体安置所を回る日々が続きました。
現在は,本格的復興を支援するために,名取市に3名,石巻市に6名,南三陸町に3名の合計12人の職員を長期派遣している状況でございます。 派遣の方針を決めるに当たりましては,派遣元の各局で長期派遣者から定期的に報告を受けた上で,被災地の事業の進捗や復興状況とあわせて被災地のニーズの把握に努めております。
初めは南から北へ、いわき市、広野町、楢葉町、第2原発があります富岡町、第1原発があります大熊町、双葉町、浪江町、南相馬市、相馬市、岩沼市、名取市、仙台市、石巻市、女川町、気仙沼市、もちろん南三陸等も回ってきました。道路の一部には、自動車は通行できるけども、二輪車は通行不可というところもありました。
次に、啓発活動として、伊丹社会福祉大会においては、阪神・淡路大震災から20年並びに東日本大震災から4年を迎えることから、「震災から学ぶこれからのまちづくり」をテーマに、宮城県岩沼市、名取市に派遣した市民特派員からの震災後のまちづくりの状況報告や、伊丹市と神戸市西区のまちづくりの実践報告を行いました。
また、震災後5年を迎える東日本大震災の被災地支援については、相互支援協定を結んだ宮城県の名取市、岩沼市社会福祉協議会と協議しながら、伊丹市民の参画を得て支援活動を実施していきます。なお、今年度は、本会の第6次発展計画の内容に従い、実施していく具体的な重点事項と組織基盤強化方針については、室長並びに所長より御説明いたします。
また、津波が押し寄せるときの衝撃力は、宮城県の遠浅の海から名取川を遡上した津波とは異なり弱く、本市の海が遠浅ではなく、水深約10メートルと深いために、岩手県宮古市に押し寄せた津波のように、海水面が徐々に上昇していくといったタイプの津波の押し寄せ方であり、防潮堤には主に静的な水圧が作用するというものです。
そのほか、東日本大震災等の教訓を生かし、災害発生時職員行動マニュアル初動編を作成するとともに、東日本大震災に対して、被災地である宮城県名取市、岩沼市、両社会福祉協議会の協力により、被災地支援事業として被災した障害者や家族、支援者の方々をお招きし、被災した際の体験談を語っていただき、障害者と地域とのかかわりを築いていくことや、福祉避難所など障害者の震災時の居場所づくりの必要性などを話し合いました。
本当に津波の避難につきましては,ちょうど東日本大震災のとき我々選挙でございまして,4月の29日だったですかね,ゴールデンウイークのときに私,現地に入りまして,名取の避難所に寄ったんですけども,ある民生委員の方とお会いすることができていろいろとお話を聞いてると,奥さんがお亡くなりになったんですね。
防災行政無線につきましては、東日本大震災で被害を受けました名取市の閖上地区というところでは、防災行政無線そのものが日常的に使われて情報が発信されておったのに、その時だけ壊れて放送が流れなかったと。そのことが被害を大きくしてしまったということが言われております。たとえば、ポールは耐震性にするとかですね、そのものが庁舎では発信をしておったと。
その中で,個々の子供たちがどうするかというのは,少し難しい面があったのではないかなというふうに思っておりますけども,ただ,その他の事例を見てみますと,やはり,例えば名取におきましても,かなり逃げてられない方がたくさんおります。これは,防災の中で最も言われることなんですけども,正常化の偏見ということがございまして,みんなが逃げなければ逃げないというようなことがございます。